大ガードの夜景 第80話  『 大ガードの夜景 (終) 』

じんじんの鬱を解くキッカケとなったのは「小春の笑顔」であった。
二歳を過ぎた小春は、始終わけのわからない言葉を発し何かにつけて良く笑った。
(この状態は実は今も続いているとかいないとか・・・)

「何がおかしいんだか、こいつ・・・」
じんじんは小春を見ていると、もう、笑うしかなかった。
なんだかわかんないけど笑った。
笑っているとなんだかわかんないけど楽しかった。
「楽しい」の感覚が戻った瞬間だった。 

笑顔を取り戻せたことで、じんじんの気持ちは更に快方へと向かってはいたが
京子の事を思う気持ちは、なかなか整理できなかった。
以前の様に気持ちが荒れる事はないにしても、思う事はすなわち悲しい事であった。

じんじんは中学時代の友達のお母さんから時々手紙をもらっていたのだが
その人からは、なにうじうじしてんだ、さっさと忘れろ!と叱られていた。
小春がいるんだよ、そんなうじうじしている暇あるわけないでしょ
というのがそのお母さんの意見だった。
もっともな事だとは思ったが、じんじんとしてはうじうじしているつもりは無かったし
「忘れる」というのは違う、と思っていた。
反対に「絶対に忘れてはいけない」と思っていた。
おそらく、そのお母さんは「忘れちゃイケナイかもしれないけど、そんなに
ひきずってちゃ新しい相手も出来ないだろに」という事を言いたかったのだろう。
そして、そのことでグルグルと堂々巡りしている姿がうじうじなのだと・・・

しかし、その「京子への思い」を「忘れることなく」整理出来たのは
意外にも新しい恋がキッカケだった。
今そこに存在する、生きている相手を愛するということを通し
「なぜ京子を思うことがつらいのか」ハッキリと認識出来たのだった。

じんじんが京子に対して抱いていた思いは、京子が生きていた時と変わらない思い
そのものであった。
それは実は相手からのリアクションを前提とした思い、であって
この世にいない相手に向けられるべきものではなかった。
簡単に言うとそういう事だったのだ。

今存在する相手に向けられるべき思いを故人に抱くという事は
あの朝、答えない京子に向かって発してしまった、あの虚しい一言を
ひたすら繰り返しているのと同じ事だったのだ。

その事に気づいたじんじんは「京子への思い」を捨てることなく、新しい恋をする
という、表面だけ見れば矛盾する事が出来る様になった。
その内面は言葉でうまく表現出来ないが、数学的な表現を借りれば
「新しい恋と京子への思いは、実数軸ベクトルと虚数軸ベクトルの様な関係」
といった所であろうか。

そして、じんじんは旅に出るという事を通し自分を取り戻して行った。
最初は一人で小春を連れ出かける事が出来ず、よんきち、ゆみちゃん、ランチョンと
一緒に出かける事から始めた。
しかしキャンプする事は、なかなか出来ずにいた。
テントを広げる時、必ず反対側を持っていた相手がいない現実に直面する事になる。
それが怖かったのだった。
それでも、ともよちゃんとおっとさんの結婚式で北海道の和琴キャンプ場へ行く事に
なった時は「人も多いし出来るかも」という思いでキャンプ道具を持ち込んでみた。
しかし、雨、というだけでキャンプする気力が失せた。
その時じんじんは相当情けない顔をしていたのだろう、ちのりんが見かねて
「私達、近くの宿に泊まる予定だから一緒にどう?」
と、その宿に電話を入れてくれた。その時の安堵感は忘れられないものとなった。

少しずつ出かける事に慣れてきたじんじんは、2000年5月連休に宿ベースで北東北、夏に
テントを持ち北海道を、小春と二人きりで旅し、ほぼ完全に自分を取り戻した。

小さい娘を連れて二人で出かける以上「甘え」は許されない。自立した一個人としての
行動が必要だった。つまりその旅を無事終えると言う事は「甘え」からの脱却を意味し
更にその自信が鬱からの脱却へとつながって行ったのだった。

そしてじんじんは「京子はみんなの気持ちの中で生き続けている」という言葉も
ようやく素直に受け入れられる様になった。
京子が亡くなったばかりの頃、じんじんはバイク仲間に
「ツーリング先でいい景色に出会ったら、きょんのことを思い出して彼女にも
その景色をみせてあげてください」
というお願いをしていた。
ほとんど放心状態でネット上に書いていた事であったが、みんながそうしてくれれば
京子もみんなの心の中で生き続けることが出来るだろうという思いがあったのだろう。
じんじんは他人にそうお願いしておきながら、一時とは言え、そういう気持ちを
否定していた自分が恥ずかしかった。

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新宿大ガード西で止まった車から歌舞伎町の夜景を見た時、京子は
「生きているんだなぁって思う」と言っていた。
あれから何年もの時が流れ、大ガードから見えるネオンの文字も大分変わって
しまったが、その夜景は相変わらずまぶしく、エネルギーに満ちている。

じんじんは会社帰り、中央線の窓の外をゆっくりと流れていく歌舞伎町の夜景を
見ると、ふとその時の事を思い出すことがある。
そんな時、じんじんの胸の奥では京子も同じ大ガードの夜景を見て
「今も生き続けているんだ」と実感しているに違いなかった。


- 了 -