大ガードの夜景 第76話  『 二人で生きるという事 』

「はい・・・」
突然の電話でたたき起こされたじんじんは寝ぼけた声で答えた。

「清川病院と申します。」
電話の相手は、挨拶もそこそこに用件を告げた。
「京子さんの容体が急変しまして、至急病院にお越し頂きたいのですが・・」

時計を見ると5時。
「朝、だよな・・・」
じんじんはもうろうとしながら京子の実家に電話し、病院へ行く様伝えた。

「どうしたんだろう・・・」
じんじんは車を出すと寝ぼけた頭でいろいろ考えた。
「昨日の晩の様子からして、なんか騒いだかなんかしたのかな・・・」
通常の頭の状態なら、すぐに「危篤」の知らせだとわかるのだが
深い眠りから突然起こされたじんじんは、まだ頭が覚醒しきっておらず
なかなか状況が理解できなかった。

東の空はもう明るくなってきていたが、まだ日の出まで1時間はある時刻。
じんじんは、ほとんど車のいない青梅街道に出ると新宿方向へと左折した。

中杉通りを過ぎ、しばらく先にある「梅里二丁目」交差点
   -ここを左折して真っ直ぐ行けば中央線のガードの手前に病院がある。-
そこにさしかかる直前、じんじんの頭に何か目を覚まさせる様な感覚が走り
じんじんは、はっとした。
運転しながら考えていた「いったいどうしたんだろう」の答えの候補に
突然「死」という選択肢が現れたのだ。
じんじんは突然現れたその答えの候補を否定も肯定もせず、何も言葉にせず
何も考えずただ歯を食いしばる様にして、梅里二丁目の交差点を左折した。

誰もいない病院の階段を昇ると201号のドアは閉まっており、廊下もシンとしていた。
まるで何事も起きていないかの様だ。
「??」
じんじんは小走りに階段を駆け上がってきたのだが、拍子抜けして廊下で一瞬
立ち止まってしまった。
すると、じんじんの足音を聞いたのか、すぐ夜勤のナースが現れ「こちらです」と
わざわざ201号のドアを開けてくれた。

「ながたにさん、ダンナさんきてくれたよ」
そのナースは、じんじんの後から病室に入ると京子にそう声をかけた。

見ると京子は静かに眠っていた。

「なんで呼び出されたんだろう・・・」
じんじんは、何も起きていないじゃないかと言わんばかりに、京子の枕元に行くと
京子の頬を2回ほどたたいた。
「・・・おい」
じんじんが声をかけたが京子は反応しない。

「今どういう状態なんですか?」
入り口に立ったままのナースにじんじんがそう問いかけると
「先生が説明しますので・・」と彼女はすぐに廊下へ出ていってしまった。

「・・・」
じんじんは京子の寝顔を見ながら先生が来るのを待った。
現れたのは主治医の清水医師だった。
清水医師は軽く会釈するとじんじんが質問する前に口を開いた。

「残念ですが、先程お亡くなりになりました。確認は五時二十分でした。」

「!」
じんじんは反射的に時計を見た、ほんの20分くらい前だった。
「・・・」
だまったまま京子を見ているじんじんに清水医師は
眠っている間に心停止状態になったこと、心肺蘇生を試みたが戻らなかったことを
説明し、おそらく本人は死んだことに気づいてないでしょう
というコメントを残し、静かに病室を出た。

京子と二人になったじんじんは、再び枕元に近寄るとそっと京子の頬に手を伸ばした。
まだ体温もあり、普通に眠っている様にしか見えなかった。
「死んじゃったのか」
言葉としてはそう思ったが、感覚としては何も理解出来ていなかった。

じんじんはいつものソファにゆっくり腰を下ろすと、黙ったまま
その状況を理解しようと努力した。
しかしいくら考えても「死んだ」ということしか頭に浮かばず
悲しいとか、そういった感情すら感じなかった。
当然、涙も出ていなかった。

昨日の夜、京子が「なにがなんだかわからない」と言っていたのは、実は死の淵を
覗いていたのかもしれない。死ぬ寸前の、意識が飛ぶギリギリの状態だったのでは
ないだろうか。じんじんは昨夜の京子の様子を思いおこした。

無線式の心拍モニターが設置された意味も今やっと理解できた。
医者にはもう判っていたのだ。あの機械が設置された時、既に
「今死んでも不思議ではない」くらいの状態だったのだろう。
そんな、今となってはどうでもいいことしか頭には浮かばなかった。

じんじんは結局、状況を理解出来ないまま30分位ソファでじっとしていた。
京子実家のみんなはまだ病院に現れなかった。

外は明るくなり、見ると雲の向こうにぼやけた太陽がなんとなく見えていた。
なんともスッキリしない朝日だった。

「日が出たよ・・・」

そう京子に話しかけた瞬間、じんじんは今ここで起きていることが
「いったいどういうことなのか」突然、理解した。

じんじんにとって京子が死んだ、ということは
今、自分の目の前で起こった事を京子と共有することは、もう絶対にできない
ということだったのだ。

この一ヶ月、京子は寝たきりで二人は何の話をするわけでもなくTVを見ていた。
それで何の不満も無かった理由はここにあった。
二人は目の前で起きている「何か」を同時に間近で共有出来ていた。
そのことで「今生きている」ということを自然に感じ取っていたのだった。

二人で生きていく、ということの意味は
同じ時間を共有する、ということに他ならない、そう思い知った瞬間だった。


「京子・・日が、昇ったよ・・・」

じんじんはもう一度そう声に出して言ってみた。
しかし、それはじんじんが生まれてから今までしてきた事の中で
最も虚しい行為となってしまった。

答えてくれるはずの相手を失ったその言葉は
まるで何も反射する物が無い空間に言い放ったかの様に
虚しく消えていった。

「もう、答えてくれない・・・」
そのあとは、もう流れ出る涙を止めることはできなかった。

- つづく -