大ガードの夜景 第73話  『 雛祭り 』

3月3日、入院からほぼ一カ月ぶりに京子は家に戻ってきた。
退院では無いものの、外泊でこの日に家に戻れるということは、余命一カ月を
宣告されていた身としては第一関門クリア、という感じだ。
今頃は、もうまともに声も出せずアウアウ顎を動かすだけの姿になっている事を
想像していた京子は「なんてことないじゃん」という気持ちで一杯だった。
でも、はしゃぐとダウンしかねないので、じんじんが飾ったひな人形を見て
すぐに実家へ行き、おとなしくしていることにした。

「う、騒がしいな、相変わらず・・・」
京子が玄関を通過して最初に感じたのはそのことだった。
その日は栃木からじんじんの母親も出てきていたので、元々騒がしい家が
なんか「ハイ」な雰囲気に包まれていて、いつも以上に落ち着かない状態だった。
その雰囲気は他でもない自分の母親が元凶になっていると京子は判っては
いたが、文句も言わずベッドで横になっていた。多分、言った所で静かになんか
なりようがないのだ、この家は。

特に何があった、ということもなく京子は平凡に一日過ごし
四日の夕飯を食べてから病院に戻った。
落ち着かなくて、ちょっと疲れたが、やはりここよりは実家の方が楽しかった。
お見舞いと同じで、もらった元気と使った元気でプラマイゼロだけど、気持ち的には
家に帰れて良かった、と思った。

「ねーぇ・・」
病室に戻り一息ついた所で京子は、いつもの様に病室のソファにだらしなく
座っているじんじんに話しかけた。
「ん?」じんじんは半分眠っているかの様な状態だったが、京子の声で
目をさました。

「もしもね、仮にだよあくまでも仮にね」
じんじんが起きたのを確認した京子はしつこいほど「仮定の話」であることを
前置きして話し始めた。
「もし・・・私がじんじんさんより先に死んじゃってもね・・
じんじんさんにはシアワセでいてほしいの」

じんじんはうなずきもせず京子の声を聞いていた。

「だから、その、私のこと忘れて欲しいとは言わないけど、もしもいいひとが
できたら、私のことにはかまわないで一緒になって、シアワセになってね・・・」

「・・うん」
じんじんはそこでうなずく事が、京子の死を前提としているかの様に感じられ
うまく返事が出来なかった。
そんなじんじんを見ているのか見ていないのか京子は続けた。

「だって、ちゃんと言っとかないと、もし将来そういう人が現れた時に
じんじんさん私のことがひっかかったままだったらシアワセになるチャンス
逃しちゃうかもしれないじゃない。もし仮に一緒になっても私の事が
ひっかかったままだったら相手の人には失礼な話だし、シアワセには
なれないと思うの・・・ じんじんさんが私のためにシアワセになれない
なんて、イヤなのよ。その時は私、いないんだよ・・だから・・・」

そこまで言うとじんじんは、ちゃんとわかったから、と京子をさえぎった。
そして下の方を見ていた顔を京子に向けると
「ありがとう、ま、"もしも、万一"見つかったら、ね。」と笑った。
「うん、もしも、ね」
京子も自分の話をじんじんが素直に受け入れてくれたので安心した様子だった。

しかし、その時、じんじんは大分疲れていて、あまり深く考えてはいなかった。
自分の好きな相手に対しこういうことを言う、という事が女性にとってどれだけ
キツい話か、どれだけの決心が必要か、その時じんじんには認識出来ていなかった。
そして、この一言がのちに大きな助けになるなどとは思いもせず
ただ、単純に自分の事を心配してくれているんだ、という事しか考えていなかった。

じんじんが帰ったあと京子はなんとなくダルかったが、眠くはなかったので
何日かためていた日記を書いた。字をみると、どうもヘロヘロな字だ。
昔、故園山俊二が朝日新聞に書いていた「ペースケ」の絵の線が
だんだんヘロヘロになって行くのを複雑な心境で見ていたことを思い出した。
自分も彼と同じ病気で、同じようなヘロヘロ線を紙に書いている。
一瞬「もしや」という気持ちが頭をよぎったが京子はすぐ
「一カ月たったって生きてるじゃん、それに普通に家に行ってこられたし
苦しんでるわけでもないし、この分ならとりあえず三カ月は楽勝だね」
と、独り言の様に自分に言い聞かせた。

TVでは四月からの新番組予告が流れていたが、それを素直に楽しみにしている
自分に気づき、京子は少し安心した。

- つづく -