大ガードの夜景 第59話  『 銀杏並木 』

蓼科から帰った京子は翌日から飯田橋通いをして、胃の検査を行なった。
胃カメラも飲んだが、多少潰瘍ぽい感じはあるものの心配はいらないということで
単に薬を処方されただけで終わった。
本人は胃への転移等まで心配していたので余計胃が痛かったという悪循環も
影響していたのかもしれない。その後京子の胃は特に大きく荒れる事も無く推移し
あの蓼科撤収騒ぎはなんだったのだろうか、という感じであった。

京子は埼玉の帯津三敬病院の指導で食事改善を続けてはいたが体調は芳しくなかった。
今思えば退院直後から8月までが一番まともで、蓼科の胃痛事件以来どこかしら調子が
悪い感じが抜けなかった。
まぁ食事の改善といっても、それでガンを治すわけではなくて
自然治癒力を維持するためのものだったのでガンは別として「少しは元気になるかも」
と期待していたのは確かだった。が、通常の体調すら芳しくないのでは
食事指導に従っているのもばからしく思えてきた。

秋には米沢の友達の開催する「芋煮会」へ行ったりと遠出できるくらいの体調では
あったので小春の一歳の誕生日は栃木にいるじんじんの両親が来やすい様にと
宇都宮市内の店で食事会をした。せっかく出かけるのだからと、以前バイクのオフで
来た奥久慈の温泉や蕎麦をルートに組み入れ茨城から南那須経由で宇都宮へ出た。

店に入り席につくと、じんじん母は中華料理だというのに、自分で用意してきた
バースデーケーキを開封してしまいローソクを立てて、はしゃぎ始めた。
まぁ初孫の1歳の誕生日なわけだし、うれしいのだろう。
京子も癌宣告から一年後、こうして病院でない場所で小春の誕生日を祝えたのは
うれしかった。初節句も病院だったし、来年は家に雛壇飾りたいし・・と思いを
広げていた。

週末明けの朝、じんじんが通勤チャリで青梅街道に出ると歩道が銀杏の落ち葉で黄色く
塗りつぶされていた。昨夜少し風が強かったので沿道の銀杏の葉が一気に落ちたらしい。
正面には朝日がまぶしく見えている。この時期は丁度青梅街道の進行方向から日が
昇るのだった。一年前、同じ様な光景の中、通勤チャリを走らせながら、病院にいる
京子のポケベルへ青梅街道がまっ黄色だとメッセージを送ったのを思い出した。
普通でも印象的なこの光景の中、特別な思いで自転車を走らせていた一年前。
来年のこの時期にまたこの光景を見て今を思い出す、などという事を考える余裕は
無かった。しかし今日は「これから毎年、この光景を目にする度に小春の生まれた時
の事を思い出すのだな」と、未来をハッキリ考える事が出来ていた。
「今日は風もなしい、小春日和になりそうだな」
じんじんは朝日に目をしょぼつかせながら自転車を加速させた。

- つづく -