大ガードの夜景 第50話  『 ぼろぼろ一家 』

連休が終わるとじんじんはまた連日終電で1:00過ぎの帰宅、京子は小春のグズリに疲れ
くたくたになりながらも家事をこなしていた。それでも週末に休みがとれればドライブに
出かけたり河川敷での宴会に顔を出したりしていたのだが6月の半ばにじんじんが疲労限界
と感じたらしく近所の医者に診断書書いてもらって一週間会社を休んだ。それまでも
週に一度くらいの割合で起きられずに休んでいたのだが、その程度で回復出来る状態では
無かった様だ。丁度その頃に会社で受講したキャリア研修の講師が「なんでも相談に乗るよ」
と言ってくれていたのを思い出し、メールで相談を持ちかけたりして休みを決心したらしい。
一週間休むといっても単に仕事に行かなければいいかといえばそうではなくて、じんじん的には
一週間眠り続けたいくらいであった。が、乳児と病人のいる家庭でそんなことが出来るはずもなく
大した疲労回復ができないまままた出社。会社から見れば「一週間休んだんでしょもう平気だよね」
ということになり遅延した仕事を取り戻すべく結局終電コースとなるのだった。
京子は定期的に血液検査を受け、一時腹水がたまったことから入院も覚悟した事もあったが
だるいという以外はこれといって異変はない日が続いていた。退院後あの病院としては
やることがなくなったので、京子は別の病院で食事療法の指導を受け食生活の改善にチャレンジ
していた。それほど特別な内容ではなくて自然食をこころがけましょう、というものであった。
ご飯は胚芽米、野菜は無農薬、添加剤等の入っている食品はなるべく避けるということから
始めた。
7月のある日、京子は机の上に富士通川崎病院の薬の袋を見つけた。日付をみるとつい昨日
処方されたものだった。「じんじんがもらってきたものだろうけど、なんの薬だろう」
京子は薬の名前を調べてみた。
「ドグマチール・・こう鬱剤? なんじゃそりゃ? じんじんさん鬱病なの? 疲れてはいるようだけど
鬱っていう感じにはみえないし・・ まーそのうち話してくれるだろから待とう」
京子は薬をもとに戻すとまた家事を始めた。
その夜、めずらしく定時で帰ってきたじんじんが予想もしない事をいった。
「明日から休み。最低一カ月だってさ。鬱病なんだと・・・よくわかんないけど」
話によると、じんじんは会社で明らかにアタマがまわらなくなっている事は自覚していた
らしい。具体的には予定がいくつか重なっている時に仕事の相手に「いつまでにできますか」
とか言われると「ちょっと予定検討して後で電話します」といえば済むのに言葉が出なくなる
会議でも進行役なのに判断が入るとだまってしまう。体のだるさとしてはほぼ限界で
休み時間、昼一時間、夕方30分、夜30分、すべてキャンプ用のベッドを組んで横になっていた。
食事もとらずにいた。飯食べる事より寝る方が優先だった。
それは端から見ていて明らかにヤバい状態だったらしく、課長が工場にある健康管理室の
メンタルヘルスサービス室の電話番号をメモに書いてじんじんに直接渡したんだと言う。
じんじんはすぐに予約を入れて面談に行ったところ、病院の内科で心療内科やってるから
すぐに行く様に、と言われ行ってみたら鬱病診断が下されたらしい。
でもその日からイキナリ休むというのも無理な話だったので一日でできるだけの引き継ぎ資料を
まとめてきたのだという。課長も結果は予想していたらしく即日療養に入る様にいってくれた
のだそうだ。
仕事の内容としては特別キツい内容ではなくちょっとキツいけどありがち程度のもので
過去じんじんも何度となく経験してきた程度の忙しさではあったが、今までと違っていたのは
そのバックグラウンドにある事柄だった。
「リンパ転移があった場合は長生きできない、1年か1年半・・」
それは子宮摘出手術後にじんじんが医者に言われた言葉だった。そしてリンパ節への転移は
あった。そしてそれ以降の経過予想などは一切医者の口からはきかれなかった。
定期検査では再発という事は確認されない日が続いてはいたので京子も普通に暮らしていたし
じんじんも普通に暮らしていたつもりだった。しかしじんじんの心の深層では「こんなこと
してていいのか」という気持ちが揺れていた。仕事なんかしてないで京子と一緒にいなくちゃ
いけないんじゃないかという思いと、仕事上のアタリマエレベルの責任を果たす事と
初めての子供を持った事、看病疲れの蓄積、職級がいわゆる主任クラスに上がった事が重なり
精神的に破綻した結果、アタマがまわらなくなったらしい。
外から見える症状を総合すれば、やはり鬱病ということになるのであろうが、じんじんとしては
抑鬱気分みたいなものがないだけに、医者が会社に対してウソをつかない範囲で診断書を出して
休ませる理由付けをしてくれた、くらいにしか考えていなかった。
家の中で元気なのは小春一人だけであった。

- つづく -