大ガードの夜景 第45話  『 4ヶ月 』

ライナック最後の10日、京子の体調はかなりひどい状態だった。
下痢止め飲めば便秘。腹痛納まらず。下痢止めやめれば1時間おきにトイレ。
ヤケドのじゅくじゅくも気分悪いし、当然食欲も無し。脱水だと言われ点滴攻撃。
それでも家に戻れる時は戻り、小春と一日中ゴロチャラとしていた。
ライナック自体は4月の初めに終わった。もうやることはなくなった、という思いより
ここから出られるという事の方しか京子は考えていなかった。
8日に上半身、9日に下半身のCTスキャンを行い、同日、11日に退院して良いという
金子先生の許可が出た。
去年の秋に「明日帝王切開します」と言われたあの日から4ヶ月以上がたっていた。
自分の身の上におきた事も重大であったが、同室の入院仲間の死をはじめ
あまりにいろいろな体験をした4ヶ月であった。
京子が家に戻る日、じんじんは那須へ出張で来られなかったのだが、次の日
今年まともにお花見が出来なかったから、と京子を秩父の定峰峠へ
ドライブに連れ出した。以前京子が一人バイクで走りに行ったら一週間遅れの
満開桜が見られたといっていたので、今ならまだ少し花があるかも、というもくろみ
だった。「天気もいいしついでに星も見てくっか」とじんじんは家宝の10cm双眼鏡を
実家から借りて来たスターレットに積み込んだ。小春はスターレットと引き換えに
京子の母親に預けてきた。
秩父の桜はまだわずかには残っていたが、立派な葉桜であった。二人はそのまま
市内で「珍達そば」なるラーメンを食べ夕暮れの山道を上り登谷牧場へと向かった。
そこは秩父の町明かりが見えるものの、見晴らしは良く空気が澄んでいる夜なら
それなりに星が見える所だった。適当な駐車場もあるしお手軽に星を見るには良い
場所だった。そこには寄居町の天文好きが建てた小さな観測所がいくつかあり
二人は随分前にそこの観測会に参加した事があったのだった。
じんじんは駐車場にスターレットを止めると京子と牧場の階段を登った。
西側の斜面には暗くなった空を眺めている人が何人か腰をおろしていた。
普段なら誰もいない様な場所だが、宵の西空に見える大彗星ヘールボップを見に
星を見る趣味の無い人も山に上がってきている様子だった。
「おーあれだあれだ」じんじんはHB彗星を指さした。
「こないだ家の前で見たときより尻尾がちゃんと見えるね〜」
じんじんは小学生の頃から星を見てきたのだが、肉眼でちゃんと尻尾が見える彗星
というのには最近迄出会った事がなかった。その頃から夢見ていたハレー彗星は
地球との位置関係もあって、星の事がわからない人にはその姿さえ探し出すのが困難
という程度であったし。そんな事もあって、このHB彗星の姿はじんじんにとって
充分過ぎる雄姿、のはずであった。が、春に北海道で見てしまった百武彗星の長大な
尾のおかげで「ま、こんなもんね」という感想でしかなかった。
二人は立ったまましばらく星空を眺めていた。
「4ヶ月もの間お疲れさま」
じんじんは彗星の姿を見たまま京子に声をかけた。
「じんじんさんもありがと、長い間病院にいたけどあんだけ毎日お見舞い来てもらってる
患者さんて婦人科にはいなかったよ。しかも忙しい会社なのに・・・長かったけど
逃げ出さないでいられたのも、じんじんさんが毎日来てくれたからだと思う」
京子も西の空をみつめたままそう答えた。
京子はこの4ヶ月、いろいろな人のおかげで、落としそうになった命を
また自分の手に戻せた事をようやく実感することが出来た。
「今からはその命をできるだけ長く自分の元においておける様な生活にしていこう」
京子はそう思いながらじんじんと二人、満天の星の登谷牧場をあとにした。

- つづく -