大ガードの夜景 第16話  『 中秋名月 』

大騒ぎして入院はしたが、次の日にはもう血は止まり大事には至らず、すぐに退院という
事になった。脱脂綿を使って圧迫止血をしたので、診察の時それを取り除いたのだが
出るわ出るわ、そんなにたくさんどーやって入れたのさっていうくらい綿が出て来た。
そして診察の後、斉藤先生は京子に「ウチで産むなら、絶対帝王切開ですよ。」と告げた。
「まあウチでなくても普通の医者ならこの状態で通常分娩はさせないでしょう。子宮口開く
時は周りの組織がやわらかくなるから、それだけでも出血してしまう恐れがありますよ」
絶対下から産みたいと思っている京子にとっては悲しい言葉であった。出産という
イベントを考えたら、まず母子共に無事という事が優先されるわけだし、それこそほんの
1日の出来事だし、そんな事は百も承知。だけどあきらめ切れない気持ちでいっぱいだった。
赤ちゃんも元気だし、胎盤の位置もいいし、ホントにびらんだけであきらめなきゃなんないの?
という思い、そして出産そのものを楽しみたかった、自分が動物に戻れる数少ない時間の
一つだという思いが京子の頭から離れなかった。それでもやはり、失敗は許されないんだ
自分のわがままのために赤ちゃんを危険にさらす様な事があっちゃいけないんだと
自分に言い聞かせ、退院迄の一晩でどうにか気持ちを静めたのだった。
退院した翌日は中秋の名月だった。昼間は天気が悪く、月が見えるか微妙なところだったが
夜になって雲一つ無い空が広がり、まんまるお月さんがビルの向こうから顔をだしていた。
京子とじんじんは近所のお菓子屋さんで買ってきた白玉ぜんざいを月見だんごの代わりにして
近所の新小岩公園のベンチで月見をした。新小岩公園には桜の木があるので、春は夜桜、秋は
名月を眺めるのが二人の恒例行事になっていた。京子は月を見ながら、この5カ月の事を
思い起こしていた。楽しいニンプ生活は出血でもろくも崩れ去り、楽しみにしていた出産も
通常分娩不可宣告され、あかちゃんが元気な事以外ろくな事が無かった。それでも
来年からは3人でお花見もお月見もして行けるんだ、と思うと自然と心が休まるのを感じた。
赤ちゃんが元気で、無事生まれてくれればそれが一番じゃないか、月を見ていて素直にそう
思う事が出来た気がした。しかしそれと同時に「来年」というほんの近くの未来の事ですら
疑いを持たずに言う事が出来なくなっている自分に気づいた。くっきりと見えている月とは
裏腹に来年のお花見やお月見は、うっすらとモヤがかかった様にしかイメージ出来なかった。

-つづく-