大ガードの夜景 第15話  『 また賛育会 』

お盆休みが終わると、京子は会社に出産迄休む事を伝えた。もともと育児休職で1年休む
予定だったので、今休むという事は、もう1年半は会社に行かないという事になる。気分的
には退職に近い気分。とりあえず1日だけ出社して荷物片づけたり引き継ぎしたりしてきた。
それから9月にかけては小規模の出血はあったものの、また入院以前の様にフリーマーケットへ
行ってベビー用品をあさったり、深夜お茶したり、という生活をしていた。
京子の実家の近くへ引っ越しするのはアカンボが生れてからでは大変そうだし、臨月とかに
なっても、それはそれで大変だし、もうそろそろ決めなければいけない時期だった。
京子はじんじんと週末に実家近くの不動産屋で何軒かめぼしをつけて、家を見に行った。
ネックになるのはやはりバイクの置き場所だった。なにしろ400ccが2台と125ccが2台と
自転車1台を置くとなるとかなりのスペースを必要とする。盗難の危険を考えると路上には
置きたくなかった。が、実家から徒歩3分ほどの所で古いながらもまあまあの条件の
マンションを見つけたので、安易に決めてしまった。早稲田通り沿いだったので少し
車がうるさそうではあったが・・・室内の装備は1975年当時のままの仕様で、風呂釜は
着火の時にハンドルをぐるぐる回してバンバンやるやつだし、風呂桶は膝かかえないと
入れなさそうだし、台所の流しは京子でも低いと思ったし、左上にある湯沸器がジャマ。
電話線はさすがにモジュラージャックになってはいたが、呼び出し電話を想定してかジャックが
玄関横についていた。普通に考えると、どうも住みづらそう、という内容だが、京子とじんじん
は「これはこれで笑えるかも」なんて、自分らの生活そのものをギャグ化しようとしていた。
家を決めた翌週、久しぶりに大山君が遊びに来た。引っ越しについて話をすると
「それなら冷蔵庫の中も整理しないといけませんね」といきなり冷凍庫を開け、じんじんの
親が大量に送ってきて処分に困っていたハーゲンダッツミニカップを食べ始めた。結局
大山君は土曜の夜に3つと日曜の朝に3つの計6個を消費し、満足げな顔でお帰りあそばされた。
おかげで冷凍庫のジャマ物は一掃され、とても助かったのではあるが・・・
その週、じんじんは一日会社を休んで京子と葛飾区の「両親学級」へ行った。
赤ちゃんの世話の仕方なんかを教わるのだが、プレ父親はじんじん一人だけだった。
世のお父さん達はまだまだ育児をするつもりの無い人が多いのかとも思ったが
平日の昼間にしか両親学級を開かない開催側にも、子育て=母親がやる、妊婦=働いて無い
みたいな先入観があるのかもしれない。じんじんはそんな事を思いつつ、沐浴の仕方なぞを
人形で練習してきた。
そんな日々の続いていた秋分の日、またじんじんは会社へ行ってしまった。京子は一人
明治公園のフリーマーケットへ行き、帰りに原宿、お茶の水と買い物をしてきて更に暇だった
ので鈴木さんに電話をしてお茶でもしよー、と誘った。が、家に帰り着くと出血・・・
「ヤバ・・調子コキすぎたかも」とまた鈴木さんに断りの電話を入れておとなしくしていた。
3時間ほどして様子を見ようとトイレに行ったら、止まっているどころか、またトイレを
血の海地獄に変えてしまった。「こりゃ入院モノかも」京子は同じマンションに住んでいる
のりちゃんに頼んで賛育会病院までタクシーしてもらうことにした。
「あ? 赤い救急車に乗った?」京子から電話を受けたじんじんは、一瞬、救急車が出払って
いて消防署のバンかなんかで搬送されたのかと思ったが、単にのりの車が赤いというだけの
話だった。「なんかびらん部が裂けて血が吹き出してるって、で即入院になっちゃった。
でも荷物とかは用意してきたし、平気だからね」京子はそうじんじんに報告した。
じんじんは仕事が片づいたら病院に寄ろうとは思っていたが、結局会社を出られたのが
23時過ぎ、総武線快速直通の終電になってしまい、病院には寄る事が出来なかった。

-つづく-