大ガードの夜景 第14話  『 蓼科'96 』

毎年お盆の時期に、蓼科にあるじんじんの高校の寮に皆で集まる「タテシナ」という
イベント(?)がある。80年代前半から自然発生的に毎年行われているのだが、この年も
当然の様に行われる事になっていた。大抵は2泊〜3泊程度なのだが、今年は1週間ゆっくり
蓼科で過ごそうという事で、京子とじんじんは延泊予約をしていた。京子とじんじんの家には
バイクが4台もあったが、車が無かったので今回は京子は電車で、じんじんは単独バイクで
蓼科へ向かう事にした。京子は朝9:00新宿発のあずさで、じんじんは寝坊したので
渋滞を嫌って青梅街道から柳沢峠ルートで勝沼、清里、原村経由という
いつものルートで蓼科入りした。集まるのはじんじんの高校時代の仲間を中心とした友達で
なんの事はない、いつもお茶したりしている連中なのだが、たまに蓼科だけ来る
という人もいた。十数人が集まるのだが、皆でやる事は花火と夜の宴会くらいで、あとは
それぞれ勝手に好きな事をする、そういう集まりであった。今回は皆の休みの都合で
いつもの年より2〜3日早い日程だったので女神湖の花火大会を見る事が出来た。
こじんまりとした花火大会だが、間近で見られるので、迫力はあった。が、山にこだまする
花火の音を聞いていた京子は、森の動物はかなりびびっているのではないかと心配だった。
ほとんどの連中は2泊で帰ってしまい、3日目の昼には鈴木さん、だびる、京子、じんじん
の4人だけが寮に残っていた。じんじんは、この皆が帰った後の静かな蓼科寮が好きだった。
標高1600mの爽やかな空気と深い青の空、きらきらした木漏れ日の中でぼんやり森を眺めて
過ごせるのが夏の蓼科の魅力だった。
京子は体調の事もあって、ずっと寮の敷地内にとどまっていたので少し退屈していたが
こういう所で過ごしていれば、自然と体も治りそうな気がして、ゴロゴロしたりじんじんが
勝沼で買って来た桃を食べたりして過ごしていた。が、人数が少なくなると、だびるの
グチ系独り言が煩わしかった。だびるは部屋にいると四六時中他人のアラをグチグチ言ってたり
何かと不平不満を漏らしていた。「なんでここまできてアンタのグチ聞かなきゃなんないのよ
さっさとお外で遊んで来なさい」京子はそう思ったのだが、運悪く台風が来てしまった。
しかもだびるは京子たちと同じ日に帰る予定なのだった。
携帯も圏外なので通信するには10kmほど離れた白樺湖の池の平ホテルのグレ電まで
行く必要があった。当時からじんじんはパソコンを通信端末としてしか使っていなかったので
ネットワークにつなげないパソコンというのもつまらないと、無理してホテルまでアクセスしに
出かけたりしていた。当時はまだ珍しかったデジカメでひっくりがえった事故車なんかを
写しては東京に戻っている友達にメールしたりしていた。
鈴木さんが帰って、今度は大山君が来た。大山君は買い出しの時に例によって大量の食料を
買い込み、大量に消費して帰って行った。嵐の様だった。そんなこんなで、ダラダラと
過ごした1週間は過ぎ、最後迄残っただびる、京子、じんじんも東京に戻ることになった。
じんじんは自分の子供は生れる前から蓼科に来る事になったけど蓼科の良さがわかって
自らここを訪れてくれる様になるのはいつの事だろうか、とそんな事を思い、寮を後にした。
だびるはあいかわらずうるさかったが、体調が怪しい京子を気づかい東京まで一緒に電車で
帰ってくれた。連日35度を越す様な暑さが続いていた東京に戻ると、夏休みのシメだと
みんなでお茶に出かけた。また暑い、いつもの日々が戻って来た。

-つづく-