大ガードの夜景 第79話  『 鬱 』

葬儀が終わってからの一年はじんじんにとって地獄だった。

誰もいない自宅で一人大声を出して泣き台所にへたりこむ、という解りやすい悲しみに
襲われていたのはほんの一時で、その後に襲ってきた虚無感がすさまじかった。
大切な人を失った時「心に大きな穴があいた」という表現をするが
そんな生易しいものではなかった。
そして京子の入院時に開始した「病欠」が明け、会社へ行き始める頃
じんじんは本当の鬱へと突入していった。

自宅では、まずベランダにあった植物がことごとくひからびた。
テーブルの上には飲み損なった抗鬱剤が山になり、屑入れには飲んだ抗鬱剤の空容器が
ぎっしり詰まっていた。屑入れは満杯になっていたが、じんじんはその上からひたすら
空容器を押し込んでいった。
ベッド以外の場所はちらかり放題ちらかり、片づくということはありえなかった。
ドアの郵便受けにはチラシや手紙がぎっしり詰まっていたが、じんじんは開けようと
しなかった。

そして、ふとした気持ちのスキマを「京子を思う気持ち」が襲う。
「京子はいないのだ」と何度言い聞かせてもそれは止まる事がなかった。
別にキライになって別れたわけではなかったから、京子を思う気持ちが止まらないのは
ごく自然な成り行きであった。
「死」の絶対性を目の当たりにしてしまったじんじんは「心の中に生きているんだから」
という様な言葉が単なる気休めにしか感じられなくなってきた。
「実際、いないんだよ・・・」
そう思った。
そしてそれは紛れもない事実だった。

落ち込むじんじんの姿を見た友達から「前向きに考えようよ」とか言葉をかけられても
「それって京子が死んで良かったって考えろってことか?」とひねくれた解釈しか
出来なくなっていた。
友達が言う「前向き」は「人生前向きな姿勢でいこう」という意味なのに
「京子がいなくなった事を前向きに考えろ」と取ってしまっているのだから
どう善意に解釈しようとしても「前向き」は不可能だった。

死に対しては何をしても無駄。それがいつのまにか「何をしても無駄」に変わった。
なにしろ自分も「死」に向かって歩んでいるのだ・・・

そして、気持ちが一番つらくなるのが会社にいる時間だった。
会社では呆然自失状態でも結果を出して行かなければならない。が、当然出来ない。
周りが勝手に仕事を進めていく。ビジネスは止まらないのだ。
打合せでは、ただただ歯をくいしばり時間が過ぎるのを待ち、耐えられなくなると
トイレへと逃げた。
自席ではちょっとしたことで京子の事が思い起こされる。
そうなるともう涙を止める事が出来ず、職場のある建物とは別の建物の階段を
屋上手前の踊り場まで昇り、座り込んでひとしきり泣いた。
廊下を歩けば工場内には、いたるところ京子の面影があり思い出さない様にする
ということは不可能だった。

シアワセってなんだろう。
どういう気持ちがシアワセなんだっけ?
楽しいってどんな気持ちなんだっけ・・・
何をすれば楽しいんだろう。
ついこないだまで楽しいことだらけだった気がするんだけど
全然わからない・・・
じんじんは休み時間になると会社の庭にある池をぼーっと見ながら
そんなことを思っていた。
鬱で自殺する人がいる、というのもうなずける話だった。
じんじんが、それでもどうにか死なずに会社にも来ていたのは、小春の食い扶持だけは
維持しなければという思いがあったからに他ならなかった。

バイクにも乗ってみた。
バイクは走らせる事そのものが純粋に楽しい、と感じていた(はずの)ことだから
その刺激の中に身を置けば身体が「楽しい気持ち」を思い出すかもしれない
と思ったのだった。

しかし、全然楽しくなかった。
肩こりの無い人が肩こりを理解しないのと同じ理屈で
楽しい、というのがどういうことなのか、まるでわからなかった。
更に、ツーリングに行けば、どこへ行っても京子の面影がつきまとった。
そしてバックミラーを見るたびに「あれっいない!」とドキッとし
「いや、いないんだよ」と自分に言い聞かせる。
その繰り返しだった。
泣き始めれば前は良く見えないし、意識の状態からして運転は危険だった。


そんななにもかもがダメダメな状態のじんじんであったが、実はそんな状態で
「いられる」のも、京子実家の両親に甘えて小春と一緒に住まわせてもらっていた
からにほかならなかった。(アパートは単なる寝床となっていた)
京子の両親にしても、ベクトルの向きこそ違うもののじんじんと同じかそれ以上の
悲しみ苦しみがあるはずだった。しかし小春の世話があり、じんじんの様な状態に
ならないで済んでいた。というよりなる暇が無かった。

じんじんは京子の両親のおかげで身勝手にも悲しみの淵に落ちる事が出来た。
それは悲しむべき時に悲しめた、という点では幸せとも言えるのだった。

鬱で元気が無い時は、甘えられるら甘えるべきだ、というのが医者の意見であり
鬱を知らない年長者からも、今は甘えていいと思う、甘えるべきだと思うと
じんじんは言われていた。
しかし、その「甘え」と「鬱」の関係は
甘えなければ鬱から脱するのは困難だが、甘えているうちは鬱から脱することは困難
という微妙な関係にあった。

鬱を最終的に治せるのは自分しかいない。
医者はちょっと手助けしてくれるだけの存在であって治してくれることは無いのだ。
(ある意味これは全ての病気に言えることだが)
その事実と向き合い、事実を受け入れ、努力し心を開放出来た時、初めて治る。
少なくともじんじんの鬱はそういう種類の鬱であった。

京子の一周忌を過ぎ、暖かい季節が訪れると、それと共にじんじんの気持ちは緩やかに
とけ始めたが、その甘えと鬱の関係を断ち切るまでに、更に二年近い年月を要した。
深い鬱とはそれくらい難しい病気なのだった。

- つづく -