大ガードの夜景 第70話  『 入院生活 』

入院して一週間、京子の体調は、いいときもある、悪いときもある
と言う感じで一定していなかったが、極端に良くなったり悪くなったりすることも無く
そういう意味では安定していた。
しかし食欲は相変わらず無い、というか気持ち悪くて食べられない事が多く
そのあたりが元気の無さに直結している様に見えた。
胸の水は、何回かに分けて数百cc〜1000ccずつ抜いたが、やはり肺にある腫瘍の
ために、抜いてはたまり、という状態が続いていた。

そんな状態なので京子は、じんじんに近くにいてもらった方がいいと感じ
ある晩「じんじんさん、介護休暇取れるかな」と言った。
その時じんじんの方も「会社行ってる場合ではない」という気持ちがあり
課長に休む話をしようと思っていた所だったので、休暇の種類は何にするにしても
「とにかく休むぞ宣言しよう」ということでまとまった。
ところがその翌日、会社に行くとじんじんは課長に話をする前に、先に課長から
「休め」と言われてしまった。実は課長も同じことを考えていたらしい。
しかも課長は、はっきりとは言わなかったが「病欠扱い」で休める様
いろいろ配慮してくれたので、じんじんはそれに応える様に
「二カ月休みましょう」という診断書を取り、早速次の日から休みに入った。

それから毎日、じんじんは昼前に病院へ行き、京子と長野オリンピックを
ひたすら見るというのが日課になった。
京子とじんじんは結婚して数年たつが、二人でこんなに長時間テレビを見るのは
初めてだった。じんじんの家にはテレビが無かったので見たくても見られなかった
わけだが、あっても見られないから無かったわけで、これほど「落ち着いた時間」
というのも二人が知り合ってから初めての経験だった。洗濯物だの、小春の世話だの
そういう事以外、二人は何するでもなくじっと長野オリンピックな日々を過ごしていた。

話す事はテレビの事と、小春の事。
旅の話をするでもなく、趣味の話をするでもなく・・・
端から見れば、そんなボーッとしてていいのか? と言いたくなるくらい
何もせず、大した会話もせず過ごしていた。

ある日、ORPの一人からじんじんに京子の治療についてメールが来た。
彼は二人があきらめ色を濃くしている様に感じたのか
「もっといろいろ調べてみれば、お金はかかるかもしれないけれど
何かいい方法があるはずだから、皆で協力して探してチャレンジしてみようよ」
という様なことをメールに書いていた。
彼は自分が何もしてやれないで、端で見ているだけ、という事が歯がゆいというか
くやしいというかやりきれない、という思いで言ってくれた様だった。
じんじんは、友達がそういう風に思ってくれていることはうれしかったのだが
今の京子の状態は、そういうステータスではないということを書き返信した。
今、そういう「がんを消す」治療に手を出せば、がんは消えたが患者も消えた
という事になるのは目に見えていた。

二人が大して何もせずにテレビな日々を続けていたのは、別に治療に対して
あきらめていて、絶望していて、何もする気力がなくなっていたからではなかった。
二人にとっては「相手が今そこにいる」と感じ取れればそれだけで充分、というよりも
それが一番大切で、それ以外の事は、ある意味どうでも良いこと、だからであった。

二人は、学生時代のバイトや実験レポート徹夜といった忙しさに続いて
卒業後は平日=深夜まで仕事、週末=ツーリングだの茶だの、で動きまわり
気がつけば闘病だの育児だの、とほとんど全力疾走な12年間を過ごしてきた。
話そうとすれば話題は尽きないはずだったが、まるでそんなことは無かったかの様に
平々凡々と暮らしてきたかの様に、ただ一緒にいる、という毎日だった。

- つづく -