大ガードの夜景 第68話  『 京子の後悔 』

一年前、京子の手術の後にじんじんは
「リンパ節転移があれば、持って1年か1年半でしょう」
と笠原医師に言われた。
その時、それが具体的にどういう意味を持っているのか
ということまでは考えが及ばなかった。
単に「そうなんだ」と思っただけであった。

死が近いという事実を受け止め、やるべきことから優先順位つけてやるべき
という本を読んでも、そういう気持ちにはならず、違和感だけが残った。

でも今回「あと一カ月くらい」と言われると、さすがにじんじんも
「やっとかなきゃいけないこと」に手をつけた方が良い、と感じた。
そこで改めて考えてみたものの、実は「やっとかなきゃいけないこと」なんて
大したことは出てこない事にも気づいた。
強いて言えば、自分の意志、気持ちさえ伝えられない状態になってしまった時に
「これだけは伝えておきたかった」と後悔しない様にメモしておくことくらい
では無いだろうか。

やるべきことから優先順位つけて、の本を読んだ時にそれはそうだと
思いつつもなぜ違和感が残ったか、ようやくわかった。

優先順位高いことからする、自体は間違っていない、正論だ。
では優先順位高いこと、とは何か。
それは自分が「こう生きたい」と思う様に生きていく事だと
じんじんは思った。

京子やじんじんにとって、どう生きたいか、は
「優先順位つけてイヤな事は切る、好きなことだけする」のではなくて
「今起きていることは全て受け入れて、それを人生とする」ということだ。
人生何があるかわからない、人生いろいろある、それをこなしていくのが面白い
という価値観であった。
そして、まずやりたかった事は「家族三人で普通に暮らしたい」ということだった。

退院して10カ月の間、いろいろあったが、そういうイロイロをこなしながら
普通に三人で生活してきた。つまり、結果としてヤリタイコトしてきたのだ。
自然体で生きること、をしたい人間だから、自然に行けば良い。
今したいこと、今できることを普通にこなすことが出来れば
それがすなわち、優先順位高いことからする、ことになっていく
というだけであった。
考えてみればオトクな性格であった。


次の日、じんじんは会社の帰り道ハンズに寄り、ちょっと厚いカバーの付いたノートと
ボールペンを買い病院に持ち込んだ。
「思いついたことを思いついた順に書いとけばいいと思うよ」
じんじんはそう言ってノートとペンを京子に渡した。

それは側から見れば、まるで「遺言を書け」と言っている様に見えるかも
しれないが、京子もじんじんと同じ気持ちだった。
伝えたかったことを伝えられないまま一生を終わる、というのが
一番後悔しそうだ、と感じていたらしい。

ベッドの上の京子、こうなってしまってちょっと残念という気持ちはあったが
後悔という気持ちは無かった。
それは、今日まで自分が生きたい様に生きてこられたから、にほかならなかった。

そういう京子ではあったが、実は一つ「しまった」と思ったことがあった。
それは、ボロい下着とか、古い手紙とか、要するに見られたく無いものや
自分だけで管理してきた物が、家の中でそのまんまになっていること、であった。
せめて箱一つにまとめて封印するくらいしておけば良かった。
今となっては、どうすることも出来ない。
それだけは悔やまれた。
「そのためにも退院しなきゃ」

京子の中で、退院のための目標が一つ増えた。

- つづく -