大ガードの夜景 第58話  『 胃痛と蓼科 』

蓼科へは、青梅街道柳沢峠越え〜勝沼で桃〜甲府でブドウ〜清里でROCKと清泉寮
あとは原村〜スズラン峠経由という黄金ルートで行ったのだが、京子は相変わらず
胃痛、ゲップで絶不調であった。
朝はコンビニおにぎり1個、昼は好物のロックカレーも1/3残した。清泉寮のソフト
はさすがに全部食べられたが・・・

原村から鉢巻き道路で蓼科へ行くと、いわゆるリゾートな蓼科の地域を走る。
そこから上ってスズラン峠のジャンプ台を越えると、一気に山の空気になる。
そんなこともあって、じんじんはこのスズラン峠から蓼科牧場をはさんで
立科町側の雨境峠までの区間を「タテシナ」と定義していた。
それ以外のエリアは俗界であるだけでなく、空気の感じが明らかに違うのだった。
白樺湖側はビーナスラインを上がって車山の向こうへ行けばかなり良いが
その良さはまたタテシナとは違う良さだったし、この時期にそこへ行くには
早朝か深夜に移動する必要があった。移動しないで最高の空気の中にいられるのに
渋滞をおしてそこへ行く気にはならなかった。

蓼科寮について、まもなく夕飯になったが京子は半分も食べずに終了。
そのまま布団へGOとなった。

寮にはアウトライダーパティオのメンバー、すちゃら、だんべ、孔雀の3人が
遊びに来ていた。5252のメンバーとは面識はないが、まぁ、友達の友達って事もあり
またniftyの集まりなんかで初対面の連中と遊ぶのはしょっちゅうの連中だったので
なんの問題も無くうちとけてくれた。
次の日は更にコッペ、ジュニア両氏が加わり、パティオのオフみたいになってきた。
孔雀氏は朝から完全グーダラモードで、実は一番正しいタテシナを過ごしていたとも
言えるのだが、実は普段の姿のままかも、という意見が多勢を占めた。
そして起きれば何かとイジメテクダサイ光線を出して、すちゃら氏にツッコミを
食らっていた。
京子の不調はあいかわらずで、去年以上にゴロチャラ状態が続いていた。
巨大水鉄砲どころの騒ぎではない。
去年は動くのが心配なだけだったが、今年は胃痛で動けない上に食べられないという
最悪の状態だった。「なにしに来てるんだろう・・・タテシナ来れば少しは楽に
してられるかと思ったんだけど・・・」京子は布団にもぐってうなる様につぶやいた。

その日、日本一周ツーリング中の大阪の高校教師まごっと氏が、蓼科寮に来る
かもという連絡を受けていたので電話してみると
「今鳥取やで、日が変わるまでにそっち行くからな」
ってヨレヨレのBAJAで高速使わずにどーするっつーの・・・
まごっと氏はじんじんと京子がバイクで全都道府県走破した事に刺激されて
この夏休みに有料道路一切使わず全都道府県を一筆書きしつつ本土4端を踏む
というツーリングをしていた。結局、佐多岬へは有料でしか行けず、そこだけは
払ったらしいが・・・あと、沖縄無しで全都道府県ってそりゃ沖縄に失礼だろう。
結局、まごっと氏はその日、糸魚川-静岡構造線に入る前に24時を越えてしまい
タテシナに現れたのは次の日の昼だった。
「なんやすちゃらおらんのか」「昨日の夜帰りました!」
せっかく来たんだしって事で、残っていたジュニア、孔雀、鈴木さんとともに
女神湖アベニューへ行き、たんぽぽで昼飯にした。
京子は初め元気な顔していたが、食べるとなるとダメで結局ヨーグルトだけで
昼飯は終了した。
まごっと氏は寮に戻るとおもむろにMacを広げて旅日記を書き
じんじんが持ってきていたNSTARでネットにつないだりして夕方までグーダラと過ごした。
そろそろ涼しくなってきてるだろから下界へ降りる、と、まごっと氏が駐車場で
バイクに荷物を積んでいる時、CREW氏のバイクが寮についた。
二人ともここへ来たのはじんじんが「いるからおいでよ」と書込をしていたから
なのだが、それぞれは別に約束もせずに現れ偶然会っただけなのだった。
しばし話をすると「じゃ」とまごっと氏は坂を上がって行った。

次の日も京子は朝から絶不調。昼間も寝ているだけだし、あまりに具合が悪い
状態が続くので「病院行った方がいい」と、夕飯のあと急遽撤収することにした。
京子は動けないので、じんじんは小春の相手をしながら部屋を片づけ21時過ぎに
寮のおばさんに挨拶して家に向かった。
お盆の時期だが、まだみんなが東京に戻る時期ではないので高速は空いていて
上信越道〜関越経由で日が変わる前に自宅についた。

- つづく -