大ガードの夜景 第55話  『 ネオンの下 』

東京に帰った週末、じんじん達はまた城東地区のお茶会へと出かけた。
夜の青梅街道を走ると、東京に帰ってきたんだなぁと実感する。
ステップワゴンはまた新宿大ガード西の信号で止まった。
杉並の方から順当に走ってくると、この信号で止まる運命となる様だ。
じんじんは杉並に越して来てから青梅街道の使用頻度が高くなっていたが
上りでここを止まらずに通過した経験はほとんど無い様に思えた。

歌舞伎町のネオンを見ていた京子が「なんかすごく気分いい」と言った。
「あのネオン見ると生きてるんだなぁ、って気がするの」だそうだ。
飯田橋の病院にいた時は、このネオンを見る、という事はすなわち病室に戻る
と言うことを意味していた。だからあの時は「生きた心地がしなかった」らしい。
今もこの光景を見ると、一瞬その時の記憶がよみがえり不安になるが
「病院に戻るのではない」と気づくと、一気に気持ちが休まるらしい。
日曜の朝、ふとしたことで目覚めて時計を見て「げ!遅刻!!」と飛び起きた後に
休みだということに気づく、あの感覚に似ているのだろう。
そして気持ちが落ち着くと、あのネオンの下ではたくさんの人たちがそれぞれ
いろいろに生きていて、その同じ空間、時間に今自分も生きている、という
感覚から「生きてるんだ」という事を再認識するのだそうだ。
生きるという事は、他人と同じ時を共有する、という事だからなのかもしれない。
人それぞれ生きている事を実感する時、というのはいろいろあると思うが
北海道の自然でも、沖縄の日差しでもなく、この雑踏の代名詞の様な
新宿歌舞伎町の夜景でそれを実感するあたり「まさに東京ッ子」なんだなと
じんじんは思った。
東京が好きでなければ、そういう感覚にはなかなかなれるものではないと
思えたからだった。
もちろん死に直結した病気で長期入院した、あの思い出と直結しているというのも
理由の一つではあると思われるが・・・
ゴミゴミとうじゃうじゃといろんな人がたくさん生きているのだから
ある意味人間が生きるというパワーに満ちた空間なのかもしれない。

そして、そんなゴミゴミしたうっとおしい場所であっても「いかにも東京らしい」
というふうに感じてしまうと
「東京って好き」と思ってしまうじんじんと京子であった。
それは何にでも当てはまることで「らしさ」を知るという事は好感を抱く
事につながる。

例えば、ある人の個性そのものはキライな性格だったとしても、それがまさに
その人らしい事だと感じると、その人に対しては少し好感がもてたりする。
でも「らしさ」であると感じる為には、その人の事を良く知らなければならないから
自分がキライな個性を持つ人に好感を持つのは難しいし
個性を表に出さない人は、なかなか相手に「らしさ」を感じ取ってもらえない
わけで、実際はそうカンタンな話ではないのかもしれない。
子供のイタズラなんかでも同じような事が言える。
されたら困るわけだけど「いかにも子供らしい事」と感じられると
つい笑ってしまうくらいの気持ちになる。
だけど「らしさ」を感じ取る余裕が無かったり、子供ってそういうもの、という事を
知らないと、イタズラしたという事実だけが「憎たらしい」という感情に
つながってしまうのだろう。

京子もじんじんも苦しい状況にあったが、そういう事を感じ取れるくらいの
気持ちの余裕がまだあるだけまだマシだった。

歌舞伎町の脇をタクシーを避けながらゆっくり進んでいる時、京子は
行き交う人々がそれぞれどんな思いで今そこを歩いているのだろう
どこから来てどこへ行こうとしているのだろう、等々思いを巡らせた。
病院へ戻ったあの時も、同じように思いを巡らせていた。
あの時は自分はこんな病気になってしまって苦しんでいるのに、そこを行き交う人は
命に関わる心配事なんか無しにノホホンと歩いている様に見えたし
パッと目についた人を追えば「あの人気づいてないけどガンだったりして」なんて
どうでも良い事を想像したりもしていた。
歌舞伎町を行き交う人をみていれば、世界で自分だけが病気で苦しんでいるかの様に
感じられたのだ。
そんな思いにふけっていた京子だが、明治通りを過ぎ人もまばらになり
車が速度を乗せてくると、それとともにいろいろな思いも
自然と頭から消えて行った。

- つづく -