大ガードの夜景 第49話  『 やいま(4) 』

恐ろしい上下動は、やがておさまり船は何事も無かったかの様に波照間の港に着いた。
今回は計画したのが連休間際で残念ながら名物民宿はみな埋まっていた。空いていた
のは前回京子達が小浜から島抜けした時に飛び込みで泊めてもらった星空荘だけだった。
港に来ていた車でマイクロバスという高級車は星空荘だけである。3人はバスに乗り込み
所々につながれた山羊のいる坂道をのぼって行った。
星空荘は島で一番の高台にある。広場に面していてその周囲には学校や公民館等がある
いわゆる島の中心に位置する。
八重山では人が少ないというのは前に書いたが、与那国は別として石垣から遠い
波照間は特になにもない所なのでより一層人に会わない、はずなのだが、どうも人が
多い。しかし観光客では無く明らかに島の人なのだ。
宿で聞いてみると、毎年、波照間島出身者の中で干支を同じくする人が一斉に帰って
来る日があってそれが明日なのだそうだ。今年は丑年生まれの人が集まるらしい。
12歳から24歳、36歳、48歳、と72歳まで年毎にグループになり出し物をするのだとか。
京子が小春をベビーカーに乗せて公民館へ行ってみると、たくさんの人が準備に
追われていた。広場でなにやら工作している人がいたので京子が話しかけてみると
36歳チームの人たちで「どじんの踊り」をやるとかでクバの葉で腰蓑を作っている
という。「ふーん」と見入っていると暇なら手伝ってくれと、ほぼ強制的に京子も
工作に参加させられてしまった。まさか舞台の上の踊りまではやらされないだろうと
京子はハサミと材料を受け取り工作をはじめた。
部屋にいたじんじんは京子がなかなか帰って来ないので外に出た。公民館の前で
完全に島の人と化して工作している京子を発見。小春のベビーカーを引き取り散歩に
出かけた。船で会ったゆかこさんは港で別れたが、今頃小さいデーパックからテント
出してニシ浜にテント張り終わった頃だろうと思っていると、そのゆかこさんが
ひょっこり広場に現れた。まあ店らしい店はこの周辺にしかないから、買い物に来れば
自然と会ってしまうのだが、その素早さにじんじんは少しびっくりした。
その夜、夕食で泡盛「泡波」を飲んだ京子とじんじんは小春をベビーカーに乗せて
散歩に出かけた。久しぶりに帰って来た家族と、なのだろうか、どの家からも
サンシンをかきならす音が聞こえて来る。裏の集会所では48歳チームが出し物の練習
で集まっていたのか、すでに酔っぱらいのカチャーシー状態でさわぎまくっている。
玄関前にイスを出して涼んでいたおばあがじんじん達が近づいて来るのに気づいて
そちらに顔を上げた。じんじんは良く沖縄の人間と間違えられるのだが目でじんじん達を
追っていたおばあが一言「ヤマト・・」とつぶやいた。
次の日、午前中に島の最南端、つまり日本の有人地域最南端へ行き星空観測タワーで
なげやりな解説のプラネタリウムを見て昼だからとタワーを追い出された京子達は星空荘で
昼飯を食べ、公民館で行われる「丑年健進会」を見に行った。テーブルにはおつまみと
泡波2合瓶お祝いバージョンが並べられている。じんじんは人に紛れて式次第の書かれた
パンフレットをもらってきた。見ると式次第の他に丑年波照間人のリスト(住所電話番号
付き!)までくっついていた。出し物はまぁなんでも盛り上がればいいって事で「どじんの
踊り」から「少年少女エイサー隊」とかまぁそんな物である。48歳チームの所に
カタカナで「マカリナ」と書いてある。京子はなんか八重山の地元の踊りか何かかと
期待していたのだが、じつは当時妙に流行していた「マカレナ」であった。
36歳の出し物が終わると、メンバーの一人が昨日一緒に手伝ってくれてありがとう、と
京子に泡波と波照間黒糖をくれた。この泡波という酒は生産量が少なくて本土では
まぼろしの酒扱いされている泡盛。沖縄居酒屋で飲むとコップ一杯1000円位するのだが
前回来た時も民宿のおばさんがくれたし、今回ももらえたしで、ぜんぜん幻でも
なんでもなくなっていた。
京子達は翌日波照間からDHC-6という19人乗りのプロペラ機で石垣へ戻った。
エアコンも無い有視界飛行のこの路線も、船の揺れに耐えられないお年寄りなどには
人気らしくその便も満席だった。京子は窓から八重山の青い海を見て今回の旅を
振り返っていた。あっというまに過ぎた一週間だったが退院したばかりの体調の京子に
とっては充分過ぎる内容であった。そしてそれはたいした計画もせずに旅立ったわりに
語り尽くせない程の経験をして帰って来る、じんじんと走り続けたあの5万キロのバイク
旅と何ら変わらない物だった。なんの事は無い、乳飲み子抱えていても3人で行けばこんな
楽しい旅が出来るのだ。仕事の合間にプランを練ってくれたじんじんに感謝すると
ともに、京子の心はもう暑い八重山から北の大地へと移りつつあるのだった。

- つづく -