大ガードの夜景 第22話  『 帝王切開 』

21日朝、じんじんは京子の両親と電車で飯田橋の病院へ向かった。何かにつけて車で移動する
京子の実家であったが、さすがに平日の朝に都心へ向かって車で移動するのはムリがあると思った。
「ほら、よんきちのCD持って来たぞ」じんじんは京子にブルーのジャケットのCDを一枚渡した。
全身麻酔ではないので手術中に気分を和らげるために好きな音楽をかけても良いという事らしい。
しかし、患者本人が良くても執刀する医師が気に食わない物だったらちょっと怖いかもしれない。
京子がリクエストしたのは、友人のよんきちから借りている沖縄音楽のCDだった。あまり調子のいい
踊り出したくなる様なものではないので、医師に拒絶される事はなさそうな物だった。
手術は21日の朝一番に行われた。8時過ぎから術前処置が行われ、9時過ぎ、ストレッチャーに
横たわった京子はCDを持って「いってきまーす」と手術室へ入って行った。
手術としては難しい物では無いはずなので、じんじんははるちゃんが無事生まれるかが気に
なっていた。2000gは越えていて安心なレベルだとは言っても、本来ならあと1カ月半もお腹に
いるはずなのだから、全く支障が無いはずはないとも思っていた。
京子が手術室に入ってわずか30分ほどではるちゃんが保育器に入って手術室から現れた。
「女の子ですよー」保育器の乗った台車を押す看護婦さんはじんじんにそう言ったが未熟児室へと
向かう足は止めなかった。「女の子かー」じんじんは台車と共に歩きながら保育器のはるちゃんを見た。
「う、明らかに高比良(京子の旧姓)系の顔・・・」じんじんの第一印象はそれだった。しかしまずは
出産時の異常は無かった様子で、じんじんは安心した。じんじんは女の子でも男の子でもどっち
でもいいと思っていたのだが、実際に女の子が生まれると「女の子で良かった」という気持ちが
自然とわきあがってきた。何がどう良かったのかは分からなかったが、心の深層で望んでいたのは
きっと女の子だったのだろう、とじんじんは解釈した。
「あー、名前かんがえなきゃ・・・まだ一カ月以上先だと思ってたから何も考えてないよ」
じんじんはまた待合室のソファに腰掛けると京子の処置が終わるのを待った。
京子が手術室から出て来たのは11時過ぎだった。単に縫合するだけでなくて、がんの様子
なんかを調べていたので少し余計に時間がかかった様だ。京子は脊椎に麻酔の点滴を入れていて
痛みはぜんぜん無い、と言う。じんじんは自分がヘルニアでお腹を切った時、わずか数センチ
切開しただけなのに恐ろしく痛い思いをしたので、京子も大変だろうと思っていたのだが
脊椎麻酔の点滴なんていうずるい方法があるとは知らなかった。
京子は少し寝るというので、じんじんと京子の両親は未熟児室へはるちゃんを見に行った。
未熟児室は子供の両親以外は入れ無かったが廊下からガラス越しに保育器に横たわる赤ちゃんを
見る事が出来た。じんじんは特権を利用し、カメラを持って中へ入った。中では手を消毒し靴を
履き替え、白衣を着る事になっている。はるちゃんは目を閉じたまま早い呼吸をしていた。
鼻からはチューブが伸び、手には点滴の針がささり、体の何カ所かに心電図を取るためのセンサー
がはりつけられていて、生まれたばかりの赤ん坊というよりは病人の様であった。
うつ伏せになっているが、横を向いた顔を見ると京子の弟の寝顔に良く似ていた。赤ん坊の
顔は日々変化していろいろな人に似て見えるというが、こんなに高比良顔では自分に似て見える
事なんてあるのか、じんじんはそんな事を思った。
保育器の上では心拍に合わせてバーグラフがせかせかと動いていた。じんじんはおもむろに
カメラを向け「ストロボ・・・うーん、目つぶってるから、平気かな・・・」とそのまま
シャッターを押した。ストロボの光にびっくりしたのか、はるちゃんは一瞬びくっと動いた。
心拍を示すバーグラフが一瞬振り切り、次の瞬間、バー表示が消えた!「げ!!」じんじんは
(爆汗)状態になった。はるちゃんは変わらず呼吸はしている様子。と、徐々にバーの表示が
現れてきて前と変わらない状態に戻った。「なんだ、AGCが効いたのか・・・」はるちゃんが
ぴくっと動いた時、心拍モニターへの入力が大きくなったので自動的にゲインが絞られて心拍が
一瞬見えなくなったのだった。じんじんはいきなりわが子をいじめてしまったが「これでストロボ
恐怖症みたいな事になんなければいいけど」とくだらない事を心配しながら未熟児室を出た。
じんじんがその日のうちにカメラのレンズをF1.4の標準レンズに変えて、フィルムをISO800に
さしかえ、ストロボ無しで撮影出来る様にしたのは言うまでもない。

-つづく-